昔の道を辿る

今興味があるのはかつての街道ってどんなだったのだろう、ということ。
20100226_sugi
例えば江戸時代や戦国時代。大名行列や戦国大名の軍勢、飛脚やら商人やら忍びの者やらが往来していたことは事実だろうが、いったいどんな道だったのか。当然アスファルトのはずはない。山道などはどんな状態であったのか、箱根などの古道跡を見る限り状態がよいものではないはずだ。時代劇などで僕たちがみる街道を往くシーン、あれはホントにあった光景なのかどうかは怪しい。でも日光杉並木やあるいは北斎の絵などに描かれている街道を見る限り、あの時代劇のシーンは意外と正しいもののような気もする。大きな街道はまだよい。今で言う3ケタ国道のような道はどんなだったのだろう。山を走っていると峠に昔の道が残っていたりする。あんな道をずっと歩いていたのかと思うと、昔の人のほうが体力があったのではないかと思えてしまう。
道そのものについても興味はそそるが、ご先祖たちはどうやってナビゲーションをしていたのだろうか。当然今のようなロードマップはない。道しるべだって充実していたとは思いがたい。とくに田舎道。今でも地図なしで里山を歩けばどこに辿りつくのか分からない不安に襲われる。道を往くだけならまだよい。武田信玄は斥候部隊を充実させていたことで有名だが、そんな人たちはどうやってこれから先の情報を仕入れていたのか。古地図を見たこともあるが、あれだけで目的地にたどりつけることができたのだろうか、と思ってしまう。
僕のふるさとである四国には八十八箇所というオリエンテーリングの元祖みたいなものがある。それ自体が確立した時期については諸説あるが、弘法大師が四国を巡ったのは1000年以上前の話だ。江戸時代よりもずっと昔に、今でさえ未開の部分があるような気がする四国を一周することが本当にできたのか。まあ、空海さんは日本中に出現しているから各地の伝来は怪しいことも多い。しかしそれでも旅をしていたことは確かだ。
人は言語よりも先に地図を作ったという説をテレビで見たという話題に触れたのはずいぶん前のことになってしまった。食料を確保するためにはそれがどこにあるかを穴ぐらに記録させる必要があったのだという。人間は地図を作れた。では他の動物は地図やナビゲーションを理解できるのか?うちで飼っていた犬は散歩道をちゃんと覚えていたように思う。どうやって覚えていたのか?視覚情報だけではなく匂いや音で覚えていた可能性は高い。
かつての人々も今の私たちにはない感覚でナビゲーションをしていた可能性がある。そういう意味では今の人々は地図によってナビゲーションの能力をずいぶん退化させてしまっている。いまや携帯電話があればどこにでも連れて行ってもらえる時代だ。
村越さんが「読み書きそろばんナビゲーション」とよくおっしゃっているが、それらはどれもケータイで出来てしまうことになってしまった。でも不必要なことだからこそ学んでもらいたいことでもある。人間がたどって来た道を学ばずして、人間足りえるのだろうか。そういうことができない人間が増えるとこの社会が維持できるのだろうか、と考え始めるとちょっと恐ろしい。僕が想像できないような天才が現れるかもしれないし、その逆かもしれない。
ともかく、昔の人たちはどうやって旅をしていたのか。旅に出るときの気持ちってどんなものだったのか。これはちょっと想像してみるとワクワクする。


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