全日本スプリント選手権2010 in ひたち海浜公園

今年の全日本スプリントO選手権では初めてのメダルとなる銅メダルを獲得。まず今回のレースから得たことは、
・昨年のまったく勝負できなかった体力レベルから、今年は予選でトップ通過、決勝でもヘたることなく途中まで優勝を秒差で争う走りをできたことは体力面の向上があったと評価している。実はスプリント向けのトレーニングはほとんどしていない。スプリントを意識したトレーニングはNZ遠征前後に3000mTT*2本と、100m+200m変則インターバルをそれぞれ1回やっただけ。あとは早くてもキロ4分前後のペースでの距離走やLSDが中心。それでもスプリントレース中には体のキレがよいと感じた。勢いのある若手選手にも離されることなく争えた。やはりオリエンテーリングは持久スポーツなんだと実感。今のトレーニング方針は間違っていないと自信を持てたのがよかった。
・その勢いのある若手選手2人と決勝レース中盤で追い付き、ゴールまでずっと一緒だった。走力ではほぼ同等か少し速いくらいの選手たち。目の前でチラチラ動きが目に入ってきて集中が難しい状況だった。1対1なら対応方法は心得ているが、2対1(という言い方は語弊があるが)だとどちらかを交わしてももう1人がいて、その1人をさらにかわそうとしていると、後ろの1人が追いついてきて、なかなか引き離すことができなかった。実際には2回ほどナビゲーションで引き離すチャンスがあったのだが、どちらも僕のミスで自滅してしまい出し抜けなかった。そしてそのミスが優勝争いから後退する直接の原因ともなっていた。駆け引きを考えてしまい、自分のナビゲーションに集中できなかったのが敗因。まだまだこの競技から学ぶことは多い。
といったところ。
昨年の今頃、フランスへのプランを立てるに当たって、実は今年の全日本スプリント選手権はあまり重要な位置づけではなかった。ロングをメイン種目にしたこともあるし、秋と冬の鍛練期を長くとりたいという時期的な問題もあった。第二の故郷、茨城での開催が正式に決まっても、地元を沸かせる話題作りは女子のエースで前スプリント女王の朴峠に任せればよいだろうと思ってた。トレーニングが順調なら僕も入賞くらいはできるだろうから、華を添えられるかな、くらいの気持ちだった。
秋が深まり大会は近づく。が朴峠の怪我の具合が芳しくなく欠場するかもと内々に知らされる。雄哉や神谷ら茨城のエリート選手も出られず、茨城県登録で選手権クラスに出るのは僕だけ、という事態になった。これは俺がやらねば誰がやる、と。
しかし勝算は明確ではなかった。トレーニングだけは順調。だが歴代チャンピオンたちに何処まで歯が立つのか?とにかく気持ちを奮い立たせるしかない。茨城の仲間が準備してくれる舞台、ロングチャンピオンとしての誇り、スプリントに賭けてきた経験、前日イベントの運営などを通じて知り合った後輩達にもカッコイイとこ見せたい。
あらゆる気持ちを集めて、精神的な高ぶりは短期間で得ることができた。気持ちは高まっても空回りしてはいけない。落ち着いて冷静なオリエンテーリングをしなきゃ。予選はまさにそんな熱い気持ちと冷静な判断ができていた。決勝は先に書いたようになかなか難しい状況だったが、やはり付け焼刃で勝てるほど甘い世界ではないということ。
目標である世界選手権では予選から全力で走らないといけない。だから僕は国内でもいつも予選から全力で走ることにしてる。
「さらなる高みを目指してください」
これは表彰台でメダルをくれた朴峠から言われたこと。3月の全日本、強くなるための走りをして、なおかつ勝ちたい。
そうそう。もうひとつ。決勝はラストスタート。今回の舞台を用意してくれた仲間たちに囲まれ、声援を受けてスタートできたことは幸せだった。コースも僕が日本で走ったスプリントでは1、2を争う面白いコースだった。厳しく鍛えた後輩が組んだコース。いろんな意味で自慢したいコースである。やはり支えてくれている仲間に感謝。今回のレースに参加していた井川投手も多くの仲間に囲まれていた。1人で戦うのではなくて皆で戦うことが大切なんだろうな。仲間は大切にしなきゃいけない。3年連続ときわからスプリントチャンプは達成できなかったけど、春にみんなでリベンジしましょ!
20101213_sprint


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