川中島

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11月4日、松代ロゲイニング前日講習会の下見で松代へ。主催のTREKNAOのナオさんとご一緒。碓氷峠を越えると秋空に紅葉が映える信濃路。ナオさんはコースの最終点検と地元団体との打ち合わせ。僕は会場のチェックと想定コースで講習会の題材探し。昼過ぎに準備は終わり、ナオさん待ちで3時間。3月で廃線になるという長野電鉄屋代線の松代駅でレンタサイクルを借りて観光モードへ。松代駅は昔の四国の駅を思い出すレトロさ。
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目指すは千曲川を渡ったところの川中島古戦場。僕にとっての整置、間違えた、聖地の1つ。
ここで昔話を。88年の大河ドラマ、中井貴一主演の「武田信玄」。それは、当時10歳の僕が、初めて見た大河ドラマであた。前年の独眼竜政宗が流行った流れで我が家でも見始めた覚えがある。今の大河ドラマとはちょっと違う全編硬派なテイストだったが、主役級はもちろんのこと板垣信方の菅原文太、鬼美濃は宍戸錠、真田幸隆(橋爪功)、山本勘介(西田敏行)、直江実綱(宇津井健)などなど言い出せばきりがない出演の俳優陣が子供心にかっこよく、僕のなかの戦国武将のイメージはこれで固定化させたといってよい。そして最大のクライマックス川中島大合戦。ドラマの威信を賭けた大規模ロケ。最近のCG多様のごまかしとは違う迫力。それ以来すっかり戦国ファンとなり、僕の青春時代の多くが信長の野望や天下統一など歴史シミュレーションゲームに費やされたという、明るいような暗いような話。
話が長くなりそうだけれど、まあとにかくそんなわけで川中島は僕にとっては憧れの地。が、菅平など近くに来ることはあっても、あるいは高速で脇を通ることはあっても、なかなか来ることはなかった。そして、今回もついでではあったが、この機会を逃すわけにはいかない!ということでやってきた。
まずは海津城へ。江戸時代には真田10万石の松代城として栄えた。合戦時は武田の拠点。海津城から上杉が陣取った妻女山を仰いでみる。ちょっと唖然とした。こんな近い!?地図で見たりはしていたが、やはり近い。本当に目と鼻の先という場所。大胆なり政虎。そして妻女山というけれど、実際は大きな尾根の末端にある小さなピークに過ぎないことにも驚く。
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そこから八幡原の古戦場史跡公園へ。信玄と謙信の一騎打ちがあったとされる場所。一騎打ちについては諸説あるが、僕はあったと思いたい。それがロマンというものである。一騎打ち像の周りには信玄の本陣を示す土塁が残っているなど思ったよりも当時の様子が窺い知れる雰囲気があった。この像をいろんな本で見てきたがようやく来られたという感慨に耽り、しばし感動。
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そしてもう1つ、行きたかった場所、典厩寺へ。典厩寺は信玄の実弟、典厩信繁を偲ぶお寺。兄を支え甲斐信濃統一事業を支え、最後は武田のピンチを救うため川中島で散った武将。その死に様には子どもながらに涙した。自分の名前と同じ「しげ」が入っており親しみも感じる武将。典厩寺にはその信繁着用の下着や刀が置いてありこれまた感動。川中島の合戦がドラマや小説の中だけの話ではなく、この場所で実際に行われた歴史の1つなのだという実感をようやく得ることができた。
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最後に妻女山へ登る。海津城から見るより距離感は遠い。陣取り方が上手だと思った。しかし小さい尾根であることに変わりはない。こんな狭い場所に上杉方1万以上の軍勢が陣取っていたとはにわかに信じられない。軍勢の数にも諸説あるが、ここを夜のうちに下り千曲川を渡って八幡原に出たことに間違いはないようだ。闇夜の中、かがり火も焚かずにである。アドベンチャーレーサーもびっくりである。
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一通り見てまだ時間があったので象山地下壕や城下町を散策。どこもよかったけど川中島の歴史を追っただけで心はもう充実感で満たされた。また新田次郎の原作を読み返そう。きっと違う印象で読めるに違いない。たまにはこういう時間が必要だ、と思った秋の余談。


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