田舎の生活その4

さて、いよいよ流山を離れるときが来た。
子どものころ、父の転勤の都合であちこちに住んできた。愛媛県内や東京・東村山などを3年間隔で転々としてきた(そのことは土地勘や地図力と高める要因となっている気がする)。今、実家のある松山の家に移ったのは僕が中学1年のとき。高校3年までの6年を過ごした。その後、広島で浪人1年、つくばで大学から大学院までの7年を過ごし、就職のため我孫子に3ヶ月、そして流山に引っ越したのが2005年7月。そこから7年弱。つくばでは学生宿舎や2つのアパートに住んでいたので、これまでの僕の人生において流山の今のアパートは、同じ場所に住み続けた最長記録をもつ場所である。
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そんな長い時間を過ごした流山。なぜここを選んだのか。昔話を少し。
2005年春、卒業し就職した会社がまさかの経営不振で就職2ヶ月でリストラ、失意に暮れる間もなく、明日の生活を考えなくてはいけなくなった。再就職の当てなんてない。しかも愛知での世界選手権(WOC)が迫っている。実家に戻るという選択肢はなかった。
知り合いに頼れるつくばに戻るべきかとも考えたが、就職活動を始めなくてはいけない。つくばエクスプレス(TX)開業前夜のつくばでは動きが悪い。引っ越し費用を抑えるためには社員寮のあった我孫子から近いほうがよい。とすると東京、千葉、埼玉、茨城、、、、そのあたりのどこかに住み、職を得たい。そんなところから同じ地域にあり、武蔵野線でどこにでも行け、TXが開通すれば都心へも出やすくなる流山という街を見つけた。そして2DKながら格安家賃、JR駅から1.5km、流山電鉄というローカル私鉄の駅前、さらにスーパーも目の前、という好条件のアパートを見つけ、流れ住んだ。
JOAやHidiさんの会社でアルバイトさせてもらいつつWOC2005にもなんとか出場、その間に紹介してもらったスポーツ選手向けの派遣会社を通じて今の職場を紹介してもらい、派遣社員から正社員へ。わずかな貯金は尽き、知人からの借金を返しつつ、遠征資金もためなくてはいけない苦しい生活が2年くらい続いた。ようやく生活が安定し、WOC挑戦の一区切りとした2008年フィンランド・チェコ遠征。遠征を終えて、とにかく明日へと走り続けるだけだった人生を今一度見直した。
同じタイミングでnoname事業引継の話をいただいたり、勤務先でやらせてもらったオリエンテーリング研修が先方に大変好評だったりしたことから、O-Supportの立ち上げを考え、会社も正社員の身分を辞し個人事業主として新たな目標に向かってスタートを切った。いろいろな縁に恵まれ、今に至る。
前置きが大変長くなったが、20代から30代にかけて激動の時間を過ごした流山という土地のことを、僕は一生忘れることはないだろう。冷蔵庫のごとく利用したスーパーの総菜コーナーはもはや我が家の味といってよいくらい。雨の日も風の日も走ったトレーニングコースには様々な苦しみを刻んできた。昭和を感じさせる流鉄の音には癒しさえ感じる。街のあらゆるところに思い出が残っている。住み始めたときはこんなに長く住むとは思っていなかったが、都会過ぎず田舎過ぎない、都会と田舎の境目、そんなあいまいさを持つ流山が好きだ。
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引っ越しにあたってはつくば時代から使ってきたいくつかの道具たちともお別れをしなくてはいけない。モノに愛着を感じ、ヒトに対するのと同じような気持ちを持つこの感覚を大事にしていきたい。良い物を長く使う。それはこれからの田舎の生活の大きなテーマの1つでもある。
さよなら流山。また遊びに来るよ。

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