第46回全日本オリエンテーリング大会

最後の体育の日に滋賀県高島市で開催された令和最初の全日本オリエンテーリング大会に出場。結果は2位の銀メダルだったが、10大会ぶりのロング日本選手権を獲得できた。ちなみに1位はノルウェーの選手で彼には完敗だったが、日本の協会に登録していないので選手権対象外で2位の僕が日本選手権者となった。

直前に台風19号が列島を襲い開催も危ぶまれた。ミドル選手権との2日間大会だったが1日目のミドルは中止。しかしオーガナイザーの尽力もありロングは開催となった。大会が開催されたこと、そしてその舞台に辿り着けたことにはとにかく感謝しかない。

初優勝は全日本にまじめに挑戦し始めてから8大会目だったが、2回目の優勝のほうが道程が長かったことに少し驚いている。そして前の記事にも書いた通り、春に開催された前回大会以降はしばらく競技目標を明確に設定せず、できる範囲でやるという感じでちょっとのんびり過ごしてきた。バリバリに狙っていたときには獲れなくて、あまり狙っていない時に獲れるとはなんとも皮肉というか己のメンタリティーについていろいろ考えざるを得ない結果である。

ただ数値目標こそ設定していなかったが、全日本大会はしっかりパフォーマンスを発揮するターゲットレースであり、それに向けてできる範囲での準備はしっかりやってきた。インタビューではトレーニングはあまりやれなかったと話したけれど、確かにトレーニング量は距離・時間とも例年の3分の1以下ではあったがその30%の時間の中で、全日本をしっかり走るために必要なことを優先順位を付けてやってきた。オリエンテーリングの練習機会も限られていたが、全日本のテレイン、地図、コースの対策になるものをできるだけ選択して調整してきた。決して何もしないで獲れたわけではない。

とはいえ、その過程で参加してきた夏のレースはまったく冴えず、客観的に見てさすがに優勝争いに絡むのは難しいだろうなぁとは思っていた。もしいくらか可能性があるとすれば、とてもヤブくてタフで厳しい低速コースが提供された場合で、プログラムが公開されてキロ10分を超えるペースのコース情報を見て、しっかりやればご褒美はもらえるかもと淡い期待はあった。

全日本まで1ヶ月近くオリエンテーリングレースの機会が空いてしまったので1日目のミドルは僕にとっては調整を兼ねたレースとし、ターゲットは2日目のロングだった。ミドルが中止になったことで淡い期待を狙う気持ちもなくなり、とにかくやれることをしっかりやろうと集中できたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

前日は静岡オリエンテーリングクラブのみんなと宿泊。おかげで前夜もしっかり眠ることができ、リラックスして当日を迎えた。会場に行く前に散髪に行ったりもした。会場には既にスタート時間の近いトップ選手ばかりで少し緊張した。スタートにて前回チャンピオンの伊藤樹くんと話をして「なんかラトビアっぽくないですか」というのを聞いて確かにそうだなぁと気づき、あのときと同じような感じで走ればいいんだと思って随分気持ちが落ち着いたことをよく覚えている。

△→4
やぶのなかを短く真っ直ぐつながせるようなレッグが続く。テレインの様子が掴めないので慎重に確実に進むプランとペースを心掛ける。

1は植生界を辿って傾斜変換から確実にアタック。2はセオリー通り、道にエイミングオフ。3は沢線にエイミングオフ、沢の下めにずらすのがセオリーだろうが、ピークや4周辺の地形・植生を頼りしたほうが確実そうだったので右手にずらしてアタック。ピーク付近のヤブでもたつくがなんとか到達し、4はスムーズにアタックできる。

ヤブはもっと密で足元も見えないようなひどいものを想定していたので、見通しが効き足元のよい植生では若い選手の勢いには敵わないだろう、とにかく我慢して最後まで自分の納得いくオリエンテーリングをしようと思う。

4→5
ループに入る前のロングレッグ。ルートチョイスを探す。12の南の谷の道に出るか(青ルート)、給水所のある尾根を辿るかの2択しか見えず、前者は沢に下りるまでがヤブで遅そう、登りが増える、で却下し尾根を選択。尾根に乗るまでは白くて緩い沢詰めを選択。沢の中で一瞬ルートを忘れ違う方向に進みそうになるが踏みとどまる。尾根に登ってからは慎重にポイントポイントでしっかり確認しながら進む。走りながら地図を読めないテレインだったことにはだいぶ助けられている。

後でみんなと話したところでは一度東に下りて、北の外周道を大回りもありでは(赤ルート)、という話があったがその場では思いつかず。考えついてもちょっと回り過ぎかな。走り込めていない身では選ばなかっただろう。

5→10
1つめのループ。6、7は地形を辿ればよい易しめのレッグ。7→8は要注意。5へ行く途中に8の周りを通ったがよくわからなかった。ただ8-9の間の傾斜変換が明瞭なことが分かっていたのでそれにエイミングオフして確実に位置を把握してからアタック。9も傾斜変換沿いに進んでアタック。10は5と同じなのでナビゲーションを省略してペースアップ。

10→13
2つめのループ。11は地形の乗り換えをしながら進むレッグ。ペースを戻して慎重に進んでいると後ろから選手が現れ、抜かれる。ボブこと谷川くん。速いペースだ。彼は1つ目のループなのか、2つ目のループなのか分からなかったが、このペースなら追いつかれてしまったのかなと思いつつ11をほぼ同時に取り、12へ。ヤブの中をまっすぐ進むレッグ。ここは1人ならミスりそうなレッグだったがボブが先行してくれたおかげで自信を持って進めたのはラッキーだった。13は道辿り。13でボブが北向きに脱出したので彼にはタイムで勝っている、このままいけばご褒美があるかもと気を引き締める。

13→18
13→14→15はナビゲーション的な難しさはなく無難にこなす。

15→16はまさに際どいレッグ。16の手前の道に出ればナビゲーションはほぼ終わりだが、その手前で方向を見失わないように慎重に進む。湿地のある沢からまっすぐ進んでいるつもりだったがこれまでにないどぎついヤブとなり前に進むのも困難になる。ひょっとしてマップアウトしていないかという不安にかられ、南に進路を修正し白いエリアを目指すもなかなかヤブを抜け出せず。ようやく植生がよくなったが位置を絞れず。夏のレースではこういう状況から傷口を広げてしまった。位置を確定しようしようとブレーキをかける。道っぽいものを見つけ、方向をしっかり確認し16手前の道であることは確実と判断。北がやぶくて南が白い植生界も見つける。ただこれが16へつながるものか一本北かの判断できず。正解なら穴があったり沢に入ったり、不正解なら尾根を下る道に乗る、と状況に応じた判断に任せ植生界を辿る。残念ながら不正解の方であったが、道に乗ってヤブを避け北西からアタック。

もっとも危うい場面だったがダメージを少な目に抑えられた。結果ばかりを気にしていると気が焦ってしまうところだが、目の前の課題に集中できている状態だったのがよかったのだろう。

16→17→18はペースを上げられるレッグ。コースもあと少しなので頑張って走る。

18→19
ロングレッグ。右手に道を回るか(青、水色)、給水所を通るまっすぐ進む尾根辿りか、9の南の沢を詰めて12の南の沢を走ってアタックするルート(赤)かが見える。左周りはタフすぎるので却下。右回りか真ん中か。右周りは外周道路を使っていければありだったかもしれないが、立入禁止がかかっていて森の中を走る区間が多い。これまでの状況を勘案するとまっすぐでよいだろうと判断。

給水所を過ぎてからの尾根辿りは倒木が多く大変だったが慎重にチェックポイントを確認しながらアタックへ。アタックする場面で再び後ろから迫って来る気配。ラストスタート、ノルウェーのNoerbechくん。時間差は見ていなかったが10分くらいは差があっただろうか。ここまで追いつかれなかったかという気持ちと追いつかれてしまったかという気持ちが交錯したが、それより意外だったのか彼に付いている他の選手がいなかったこと。そしてここからはもっとも苦手な道走りレッグ。ここで彼のペースを利用できることはラッキーだ、と食らいつく決意。

19→◎
20はまだナビゲーションが必要。Noerbechくんの19からの脱出は早く、地図をよく読めないままだがとにかく道に出ればよいと食らいつく。彼は堰を渡って道に出ようとしてつられたが、逆走してくるので渡れないのねと分かり先行する。が焦っていて無駄にヤブに突っ込む。もう少し場所を選べばもっと早く道に出られたのにもったいなかった。20のアタックまでは先行。アタック中に先行される。

脅威的だったのは20の脱出。道に出るだけの短い区間だが一気にペースを上げられ、背中が見えなくなる。この一瞬のスピードなんだよな。道に出たときには100mちかい差がついている。その後は身体に鞭打ち必死で追いかける。最後はじりじり離されながらもなんとか背中が見える位置を保ちフィニッシュ。

フィニッシュしてから選手権暫定トップとアナウンスされ、思わず手に力が入る。中間速報を見ていた落合公也さんから「行けそう」と言われ、ご褒美あったと思う。あとは運を天に任せるのみ。決まってからはいい歳しながら気持ちはふわふわ、いろんな方から祝福をいただいたが、あまり気の利いたことも言えず。表彰式では金メダルはもらえないんだなとちょっと残念になったりもした。

すっかりベテラン選手と呼ばれるようになった。冒頭で触れた僕がまじめに全日本を目指した最初の大会は第29回大会(2003年3月)で、その時に勝ったのが村越さん。当時の僕はいつまでもベテランに負けてちゃいかんとトレーニングに一層励むようになったことを思い出す。ちなみにそれが彼にとって(今のところ)最後の優勝となっているが、当時の彼は今の僕より少し年上。僕もいよいよワールドマスターズへ向けた最終準備の道のりに入っていく時期である。

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