田舎の生活その86

梅や桜が咲き、すっかり春めいてきた。

しばらくストーブの前が定位置だったぴーたも家の中を走り回ることが増えてきた。

さて平成もあと2か月ちょっとで終わり。個人的な平成史を振り返ると、やはりオリエンテーリングとの関係なしには語れない。

平成が幕を開けた頃、西武線沿線に住んでいた我が家。その地に住む少年たちのヒーローと言えば西武ライオンズ。御多分に洩れず、AK砲に憧れ、近所の少年野球チームに入ったが長続きせず、いつの間にか行かなくなりファミコン三昧。

愛媛に戻り、中学に上がる。すると部活に入らなくてはいけない。このとき選んだのはバスケ部であった。当時スラムダンクが連載を開始。もろに影響を受けてのことだったが、夏休み明けには幽霊部員化し、文化部に転部。

高校も部活必須。入学前に開幕したJリーグとドーハの悲劇の影響を受けてサッカー部に入るも、夏休み前には行かなくなり、たしか読書部に変更した。

さすがに運動部はもういいやと自分でも思っていて、大学に入って見に行ったサークルは社交ダンス、マジシャンサークルとかだったと思うが、気づいたらオリエンテーリング(愛好会)を選んでいた。

流行に流されやすく飽きっぽい、なにより体育会的なタテ社会に馴染めなかった僕がオリエンテーリング愛好会でやっていけたのは、なんとなく地図が好きで、最初の体験会で運動経験のある同期連中よりよい結果を残せたというちょっとしたきっかけと、何より体育会的ではない諸先輩方や同期、後輩に囲まれた環境面が大きい。

それから20年に渡りオリエンテーリングを競技者として続けているとは思いもしなかったが、最初の1、2年目ですっかりのめりこんでおり、人生においてずっとオリエンテーリングに関わっていたいという気持ちが生まれていたのは確かで、今の環境にいることは、もちろんいくつかの偶然もあったが、必然だったように思う面がある。

オリエンテーリングに出会っていなければ、今ほど多くの友人知人と知り合うことはなかっただろうし、今の家庭を持つこともなかったわけで改めて多くの皆さんに感謝せずにはいられない。

そんなわけでオリエンテーリングを始めて20周年。来月にはささやかながら同期たちとつくばにてお祝いをする予定。


田舎の生活その85

昨年末から風邪っぽい状態がずっと続き、なかなかすっきりしない日々が続く。風邪の症状もせきや鼻水だけでなく、目ヤニや痰など老廃物も色々出てくるようになってしまい、身体の対応力に変化を感じざるを得ない。今年は本厄である。

さて、毎回載せている僕らの住む集落の写真。裏山にとんがった部分があるのにお気づきだろうか?

これ

この尖り部分には権現さんと呼ばれる神様がおわす小さな祠があり、ムラのお祭りでは祢宜さんや氏子の皆さんがお祈りする。そしてこの尖った杜は、かつて道路がなく谷の斜面に沿った山道を使って行き来していたころには往来の目印にもなっていた。

きつい谷の斜面をずっとコンタリング(水平に移動)することはできないので、この辺りの古道の多くは比較的斜面の緩い場所を使いながら山の上に出るようについていることが多い。そしてその峠から村に下りる道と、そのまま反対斜面に回ってその先の村へ向かうことができる。権現さんの杜はその峠のすぐそばにあり、重要な分岐点である峠の位置を示す目標にもなっていた。

それを知ってから他の場所も見てみると不思議に尖った山が多いことに気づく。そしてそういう場所に行ってみると神様や地蔵様が今も大事に祀られている。

例えばこれ

今残っている古道の多くは周りが植林され見通しがまったくないが、かつては道沿いに樹木はなく、山の目標物を定め、あそこまで行けば何々村だと考えながら往来していたのだろうか、と当時の様子に思いを馳せてみるのであった。


煩悩滅却百八式 ときわ走林会創立15周年記念大会

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

と新年のあいさつをしておきながら今年最初の記事は昨年の話題から。年末の12月29日に栃木県矢板市で開催されたときわ走林会創立15周年記念オリエンテーリング大会に参加。かつて所属したクラブの記念大会ということに加え、108のコントロールを回るというロマンあふれるコンセプトに惹かれて申し込み。

しかし12月に入って完全に怠けモードに入っていたので、果たして完走できるだろうかという不安が体力的にも技術的にも強く、ワクワク感なく当日を迎えてしまった。しかし来てしまったからにはなんとかせねば。ペースを抑えめにスタートし、だんだんとオリエンテーリングに慣らしていくつもりで序盤をこなす。

10番コントロール辺りで既に疲れを感じる。易し目のコントロールが多いが、時折やってくるヤブの中にあるコントロールや斜面を斜めに切るレッグなど、気が抜けない緩急のあるコース。段々楽しくなってくる。

また、かつてよく通った矢板エリアながら今回入るテレインはあまりなじみがなく、未知の土地でのナビゲーションも堪能できる。そしていろんなレベルの参加者が多く、人に惑わされず自分でルートを決めるという点でもよいリハビリだなと思いながら中盤へ。

そんなことを思っていたら46番で人につられて大きなロス。

最南端がちょうど半分の54になっているのはコースプランナーが狙ってのことだろう。ようやく折り返しの気持ち。

エグい感じの90番台が近づいてくるとだんだん気分が暗くなり、身体もそれに呼応するかのようにヘロヘロになってくる。地図の細かなところまで読み切れず92で少しロス。97からの道走りで下半身に痙攣を感じペースを上げられず。

最後の山に入ったところで後ろから来た桃井くんにすごい勢いで抜かれていく。ロングレースで日本人選手にあんな勢いで抜かれたのは初めて出た全日本ロングM21Eで鹿島田さんに抜かれたとき以来ではないかという衝撃的なスピード差だった。最近の若い選手はこのくらいの距離でも普通に走れるんだなぁと感嘆しながらフィニッシュ。

完走できたことに純粋な喜びを感じられた。タイムも思ったよりは悪くない。しかしトップとのタイム差は大きい。嬉しさ半分悔しさ半分か。

そんなこんなで年が明けて2019年。まずは4月の全日本大会を目標にがんばりたい。


田舎の生活その84

秋の忙しさは少し落ち着きを取り戻し始めたが気づけばすっかり冬。今月はレスト月間。トレーニングもだいぶさぼっているのが余裕ある生活を生んでいる理由の1つでもある。しかし年末や年明け後のイベント準備は始まっており、完全に身体を休める期間がないのが悩ましい。

さて、愛車のインプレッサが20万キロを超え、2月には車検もあって整備にだいぶお金がかかりそうだったので買い替えを決断。7年ちかく乗った愛車。遠征や仕事、帰省と西へ東へひた走り、いろいろと思い出深い車なので手放すとなるとやはり寂しさがある。一番の思い出は生まれてくる子供を迎えに妻の実家に向かっていたら大きな鹿にぶつかってフロントを大破したことだろう。しかしその後もエンジンはじめまだまだ好調で、30万キロを目指しても問題なく走ってくれたはず。

よく走ってくれました

今のスバルにはないこのブルーが好きだった。光の当たり方で明るい青になったり、深みのある青になったり。デビューは12年前の車だが、見ていて飽きの来ない良い車であった。次の車も色にはこだわりたいところ。

写真は何年か前のものだが、滑らかな面に1本エッジが入っているサイドラインも好きであった。

先月の全日本リレー優勝を祝って町の通りに懸垂幕をかけていただいた。なんだが大変恐縮だが、これまで自分が取り組んで来たことは社会的にはこのくらいのことをしてもらえる価値があることだったのだと今更ながら気づく。オリエンテーリングの日本チャンピオンや代表選手が各地で市長訪問したり地元新聞に掲載されることも増えてきた。このような広報活動は競技の認知度を高めていく上で地道ながら重要なことだろう。


第11回全日本スプリントオリエンテーリング大会

11月24日に開催された第11回全日本スプリントオリエンテーリング大会

昨年はけがのため欠場し、日本選手権クラスへの出場資格を喪失してしまった(※)。それから1年、出場資格を得られる各地のスプリントレースに出場することは叶わず、このまま退場かという危機にあったが、強化選手は出場資格があるということで何とか権利を得ることができた。(※本大会は予選決勝方式で、予選上位30位までが決勝に進める。決勝進出者は翌年の本大会日本選手権クラスへの出場権も得られる)

とは言えスプリント競技をするのは2年前の全日本スプリント以来2年ぶり。本当に獲る気があるのかと言われても仕方ない準備状況なうえに体調不良も重なりどのくらいのレベルで戦えるのか分からないまま当日を迎ええる。

当日朝、途中で一緒になった松澤さんには「学生が早いから予選から手を抜けないぞ」と忠告される。

その予選。コースは簡単でミスのしようのない走れ走れコース。確かにこれは気を抜くと落ちる。危機感をもって走るも中盤以降息切れを感じながらフィニッシュ。タイム的には大丈夫だろうと思うも少し心配。結果は5位通過で安堵。しかし数年前なら予選で手を抜かなければトップ通過というのが当たり前だったが、この2、3年で状況はずいぶん変わってしまった。特に同じヒートでトップだった伊藤のタイムはどう考えても出せない。

忠告をいただいた松澤さんは予選落ち。残念だったし本人にしてみれば悔しさもあっただろうが同じ静岡県メンバーということで決勝ではサポーターをお願いし快諾いただいた。おかげで昔話や最近のことなど少しおしゃべりしながらよい気分で決勝に臨めた。

一番の懸念だった予選後の疲労感はなく、なんとか戦えそう。スタート前は隔離されていたが走っている選手は丸見え。そこまでトリッキーなコースではなさそう。てっぺんを目指すなら普通に走っては望みがない。どこかで勝負をしかけられるか。

序盤。ペースを上げて入るも砂地に足を取られ既に息切れ気味。3番。今大会の目玉の1つの迷路。勝負するならここか。普通に考えれば5の外側を回るが、真っすぐが早い仕掛けなのかもと思いここで賭け。が、砂が深く明らかにペースダウン。4-5に向かうときに1分後にスタートした選手との差がだいぶ縮まっていることもわかってしまう(それが準優勝した高校生の森清だということはフィニッシュするまで分からず)。

その後はルートが分かれるようなレッグはなく、後ろの選手との差がちょっとずつ縮まっていることも分かり、中盤以降は完全に息切れし自分に失望しながらのフィニッシュであった。

結果は16位と全日本スプリントとしては最悪、日本選手権としても過去3番目に悪い順位となってしまった。ただタイム自体はそこまで悪いものでもなく、トップスピードでは入賞に絡む力はまだあるようには思う。ちょっとの差でここまで順位が下がるのだからだいぶ層が厚くなったのだろう。それはとても喜ばしいことだ。僕自身については中盤以降のスタミナ切れがトレーニング不足によるものなのか、衰えによるものなのかはまだ分からない。いずれにしても本気でタイトルを獲る気があるならばもう少しちゃんとトレーニングしなくてはいけないことことだけは確かだ。

準優勝した森清の快挙もすごいが、優勝した結城のタイムにも驚く。おそらく彼より足の速い選手は今回の出場選手の中に何人かいたと思うが、それらを圧倒し力勝ちしている。この1年、全日本個人タイトルを総なめにしているだけのことはある。彼に勝つのは至難の業だが挑戦し甲斐もある。

失格判定などの裁定で物議を醸す本大会だがここではコースについて感想を述べたい。人工障壁を使ってコースをアレンジするというアイデアはよいと思うのだが、壁の向こうが丸見えなのは面白くない。できれば選手の見えないくらいの高さの壁が欲しいが、それを用意するのが難しいことは分かる。せめてフラッグが見えないようスポンサーバナーのような幕を張れれば多少は違ってくるのではないかなと思う。

一方、森を立入禁止にするのはルートチョイスを問う上では意外と悪くないように思った(今回は渉外上の問題で入れなかっただけかもしれないが)。ヤブの森だとその向こう側は見えないので建物があるのと同じ状態。森の中の通路に人工障壁を設置すれば難しいルートチョイスを問うことができるように思う。森の中も全部だめ、ではなくテープで囲うなどして狭い通路を作ることでより選択の幅を広げられるだろう。

例えば15-16。一般の来園者がいる公園の通路に障壁を立てるのは難しいだろうが、選手が来た時だけテープを伸ばす役員を配置できれば可能かもしれない(あるいは駐車場の立入禁止と同じ扱いの道を増やしてそこに監視員を置く、など? 失格者多発しそうだが)
距離が伸びるので17はキャンセルで、18の位置は変えるほうがよいだろう。