全日本選手権2016 スプリント・ディスタンス

11月26-27日に宮崎県で全日本スプリントオリエンテーリング大会と全日本ミドルオリエンテーリング大会が開催され、それぞれのChampionshipレースが行われた。

朝霧ロゲイニングの設置を終え、羽田に向かい、たまったマイルで宮崎へ。10年近く前、仕事で九州各地によく出張し、羽田便が出ている空港はどれも使っていたのだが、宮崎だけは利用がなかった。ようやくコンプリートでき、九州にあった心残りがなくなった気がする。さすが宮崎で雪の降った朝霧に比べればだいぶ暖かく、快適な気候だった。

事前の大会案内などから果たしてどんなクオリティの大会になるのだろうかと心配し、実際プログラムやコースやいろいろと思うところがある人は多いだろう。僕もその1人であり、全日本大会の開催意義がまたもや問われることになってしまうかもしれない。しかしあえてここではオリエンテーリング不毛の地と言ってよい南九州で開催したことを称えたいと思う。たしかに既存テレインのリメイクは運営側にとっては手間の少ないことだし、数年のサイクルで人が入れ替わる学生にとっては公平性という意味でもあまり問題はないかもしれないが、長い時間をかけてオリエンテーリングを嗜んでいると、それはやっぱりつまらないものだと思うようになるわけである。行ったことのない場所に向けて準備するときのワクワク感、実際に地図を手にしたときのドキドキ感、そういうものはナビゲーションスポーツにとって欠かすことのできない要素だろう。

それからもう一つ言えば、オリエンテーリングが今後生き残っていくためにはスポーツツーリズムとしての価値を高めていくことにもあるんじゃなかろうかと。少なくなったとは言え、全日本大会ともなれば500人ちかい参加者がその地を訪れることになる。それは地方にとってはとても大きな規模のイベントで、まぁ一回こっきりしか開催されないのが全日本の難しいところだけど、でもそれでもぜひ来てくださいという価値はあるはずで、今回のような事例を作っておくことは重要なことだ。

場所の制約が多くても、やり方次第で楽しむことはできるはずで、その点ではもう少し工夫する余地はあったと思うが、選手としてはどんなコースが提供されても、コントロールに向かって全力を尽くすしかない。

レースの話に戻す。そもそもハードなスケジュールになることは分かっており、ピーキングも十分ではない。行かないという選択肢もあったのだが、今年は春の全日本ロングも結果がよくなく、全日本リレーには不参加。全日本のメダルを取り続けることは僕の競技、ひいては仕事、人生に対するモチベーションの1つなので、チャンスがあるならと行くことにした。とは言えだ。走る距離こそ少なくないが、オリエンテーリングのためのトレーニングをほとんどしていない中で、上位を目指そうとしていることになんだがすっきりした気持ちになれず、直前まで悩んでいたのが正直なところだ。

そんなもやもやもあって予選は切れがなく、若手選手の後塵を拝する。このままでは数年のうちに予選通過も難しくなるかもしれない。しかし予選らしいコースであった。決勝が決勝らしいコースになれば勝機はあるだろうと思う。

予選 決勝

決勝のスタートが江田神社の境内からというのもなかなかの演出であった。△-1では道の流れに沿っていっちゃだめ、と頭ではわかっていたし、実際に方向を確認したつもりだったが、身体は言うことを聞いていなかった。まさに練習不足の賜物。。。

それ以降は予選よりは注意が必要なレッグが組まれるが、スプリントというよりはフォレストのコースに近い課題が多かったか。それでも7-8にルートチョイスがあるのは見えなかったし、10-11も悩んだし、このテレインの中で意外とコース設定も頑張っている。終盤はややあっさりしすぎか。この細かな場所でもう少しスパイスを効かせれば印象はだいぶ違ったような気がする。

と、話が逸れた。レース中にそんなことを考える暇はなく、とにかく前を目指して進む。7で1分前の稲森選手の背中を見つけ、11で追いつく。13で引き離せたと思うが、地図読みのためのわずかな減速で追いつかれては追い抜きを繰り返し進む。15で少し道を走りすぎた隙に前に出られ、彼に続いてのフィニッシュとなる。

よい走りだったが1番のミスが致命的だろうと思っていたらその通りで、23秒差で2年連続の6位となった。現実的には1番だけで23秒をひっくり返すのは難しく、現状を考えればwell doneだ。優勝できるチャンスが残っているということを確認できたことが今の僕にとっては何よりの収穫。

この調子ならミドルにはより多くのチャンスがあるだろうと出る気満々でいたが、個人的な事情があり急きょ帰静することになる。第1回大会から常に3位以内に入っているし、今年もその可能性が高かったので一瞬悩んだのは確かだが、連続優勝しているならともかく、それよりも大事なことであったし、実際に戻ってよかったと思う。かつては企業の最終面接より代表選考会を優先したこともあったのだが。人生は長く、価値観はどんどん変わっていくものだ。

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