全日本リレー2017

全日本リレーオリエンテーリング大会。昨年は不参加のため2年ぶりの出場。慣例として全日本リレーは国体開催県で開催される。今年はふるさと愛媛で国体が開催されたため、この大会も愛媛開催の予定で一時はそのようなアナウンスもあったが、諸般の事情であろう、隣県香川での開催となった。

静岡に居を移してからはずっと静岡県チームで出場していたが、実は昨年の大会に愛媛県で出ないかと同郷の松尾怜治くん(東大OLK)に誘われていた。昨年は参加できない事情があり企画は流れてしまっていたが、今年は愛媛開催という情報が出たこともあり、ぜひ開催県からチームを出して大会を盛り上げようということとなり、もう1人のメンバー集めをすることとなった。

古くを辿ればオリエンテーリング界には愛媛県関係者が多数いるのだが、せっかく走れる2人が揃っているので上位で勝負したいという気持ちもあり、インカレ入賞経験があり、卒業後も大会に参加している宮本佳記くん(朱雀OK)にアプローチして、ひとまず1チーム組むことができた。

スタート前に3人で

さらに大会3週間前のインカレで松尾君が優勝し、インカレでの実績だけならかなり強いチームが編成されることとなった。またこれはやや残念なことだったが、四国他県からチームが出ないということで四国唯一のチームということにもなり、選手宣誓の名誉に預かることとなった。

しかし時を同じくして人生初の骨折(足の指)をしてしまう。大会1週間前になっても痛みは引かず、歩くのがやっと。個人レースとして6月の全日本と並ぶターゲットレースに据えていた全日本スプリントは泣く泣く欠場することに。この時点では走れるようになる気がせず、全日本リレーも歩いてまわり愛媛県として何とか記録を残すことを現実的な目標にするしかなかった。そのため走順も3走にしてもらった。(当初は1走松尾、2走小泉で優勝争いを演じ会場を沸かせ、最後は宮本君にできるだけ頑張ってもらうという作戦だったのだが。。)

ところがラスト1週間で状況はだいぶ改善し、直前の様子を見てちゃんと走ることにした。無理をすれば悪くなる可能性も指摘されたが、四国開催の大会で愛媛県として選手権クラスで争うチャンスは残りの選手生命をかけてもよいくらいの価値があると考えた結果であった。なにより悪くなることはないくらいに回復していることを自身で感じられたのが一番の理由だった。

快晴の国営讃岐まんのう公園を舞台にレースは始まる。1走の松尾君はまさに飛ぶ鳥を落とす勢い、全日本チャンプらを抑えて見事トップゴール。2走の宮本君はかなりプレッシャーがかかるシーンだったろうが、焦ることなく淡々とレースをこなしてくれた。順位こそ落としたがそれは想定の範囲内。そしてその想定では静岡県との“みかん対決”になるだろうと読んでいたが、まさにその通りとなり、2分程度の差で僕が先行してスタートすることとなる。静岡は長縄選手。静岡県の4連覇に貢献してきた元同僚、相手にとって不足なし。

走り出したら足の痛みよりも、あまりの身体の重さに落胆する。これまで多少のブランクで衰えを感じることはなかったのだが、年齢のせいだろうか。ベテラン選手がケガが原因で一線を退く理由を痛感する。序盤で既に捕捉され、じりじりと差が縮まっているのを背中に感じ、10番のロングレッグでとうとう追い抜かれる。しかし抜かれてからが勝負でしょう。相手のペースに合わせて食らいつく。パターン差もあり一時は姿が見えなくなるが、15番で背中を捉えて加速、ぴったり背中に付き誘導区間で最終2レッグを先読みし、勝負をかける。

会場を抜け18番へ続く道。長縄がぐるっと回る。その隙をつくようにショートカットして前に出て、先読みしてあるアドバンテージを活かし最短ルートで19番に向かいかろうじて前をキープ。さらに最終コントロールで千葉県を捉えてそれを目標に駆け、なんとか逃げ切ることができた(千葉県にはわずかに届かず)。

結果は9位で男子選手権としては愛媛県史上最高の1桁順位を獲得(愛知県が上位2チームに入っているため都道府県別としては8番目)。終始静岡県と争うことになってしまい複雑な心境でもあるが、久々にリレーらしい展開を堪能することができた。コースも整備された公園内での開催ということでフォレストオリエンテーリングと呼ぶには苦しいところもあったと思うが、テクニカルなレッグやルートチョイスを問う勝負レッグが適度に配置され、リレーのお手本のようなコースであったと思う。また会場の使い方もうまく、四国で立派な全日本を開催していただいた運営陣に感謝したい。

また愛媛県チームとして一緒に走った2人にもあらためて感謝。最近1人で大会に参加することが多く(そもそも大会に参加することが少ないのだが)、一緒に宿に泊まったり食事をしたりしただけでも久しぶりで楽しかったが、これまで面識もほとんどなかった2人に愛媛ネタが通じると古くから付き合いがあるような親近感を覚えられたのは同郷出身者同士だからこそだろう。そしてチームを組むだけなら過去にもチャンスはあったが、今回こうやって勝負できるチームで出られたことが競技者としては何より嬉しかった。

先述の通り愛媛県関係者は何人もいて、現在も毎年数人は大学に入ってオリエンテーリングを始める出身者がいるようなので、今回の出場を機に今後も出身者が集まって継続的に(断続的にでも)出場し全日本リレーを盛り上げてくれるとよいなと思う。僕自身は居を構える静岡県に軸足を置くことになるだろうが、いずれはそうやって集まった愛媛出身者で愛媛大会を企画する可能性を感じることができたのも大きな収穫であった。

レース翌日にレントゲンを撮り、異常ないことを確認。その後も順調に回復中。完治させたらまた一から作り直していきたい。


田舎の生活その71

秋のイベントシーズンもようやく終わりが見えてきたが、すでに年明け後のイベント準備はもちろん、来夏~秋のイベントの打ち合わせが始まっており、息抜く間もない。実際のところ仕事量が増えたわけではないのだが(お断りしたり、分担を減らしてもらった仕事もあるし)、労働に使える時間が減った分、いろいろと追い込まれているのは明らかだ。子どもに手がかかる数年間の我慢と思うべきか、将来を見据えて仕事を考え直すべきか。創業10年、節目の年齢を間近に控え、いろいろと悩む日々である。

そんなわけで家を長く留守にするのも難しい状況だが、そうせざるを得ないときは遠く離れて住む母たちにわざわざ来てもらって家事を手伝ってもらったりもしている。野辺山に行っている間も2人の母たちが変わりばんこに来てくれていた。帰った日には愛媛の母が来ていたので、せっかくだからと一緒に寸又峡へ行ってみた。

最近テレビに取り上げられることも多い紅葉の名所。狭い道路に人や車が殺到するので、すぐ近くに住んでいながら観光シーズンに行くのは敬遠してしまう。秋の寸又峡も数年ぶりであったが平日にも関わらず駐車場はいっぱい。以前よりも人が増えたのは確かで、かつ来訪者の年齢層が若くなっているようにも思う。そんなこともあって温泉街は活気あるように見えた。

寸又峡の一番の人気スポット、夢の吊り橋はダム湖の濁りがなかなか取れないというのでベストの状態ではなかったが、母は満足してくれたようだ。よく考えたら母子2人で歩くのもずいぶん久しい。他に何があったわけでもない、ただそれだけの平凡な散策だったが、心身ともに疲弊していたからだろうか、なんだか心に残る一日となった。


東京アーバンアドベンチャー2017

11月3日、TEAM阿闍梨主催の東京アーバンアドベンチャー2017、運営を手伝いつつ走らせてもらった。村越さんの南極壮行会も兼ねているのでチームメンバーがトップを飾らねばという意気込みであったが結果は3位。2位はTEAM阿闍梨のチームメイト柳下さん、1位はオリエンテーリング元日本代表の入江崇さんであった。コースの全体図とレース後に記入したトップのルート図はイベント公式サイトに掲載されている。

さて、最近流行りつつある古地図ナビ。古地図を見て楽しむ機会はこれまで何度もあったが、実際にナビゲーションする機会に恵まれず、すっかり流行に乗り遅れていた。しかも今回の競技エリアの世田谷は地理もよく分かっておらず未知の土地。久しぶりにワクワクドキドキするレースだった。

レース序盤。ミスもあり2分後スタートの柳下さんにあっさり追いつかれしばらく並走する展開。どこかで仕掛けなければ、ということで5番でルートが分かれたところでペースアップするも肝心のポイントを見つけられず差が広がる。そして7番で環七の罠にハマり撃沈してしまう。レース前半の詳細は来月発行の雑誌「地図中心」に掲載予定なのでぜひご覧いただきたい。

そんなわけでここでは後半の展開について。7番で大きなミスをしてだいぶ意気消沈したが、この先でライバルたちがミスをするかもしれない可能性は残っている。気を取り直して先を目指す。

7のアタックでミスをした際に鉄飛坂へ伸びる道が残っていることが分かった。早めに8へ続く谷に入ってしまう手もあったが谷幅があることに不安も感じ、旧道をつないで北の台地側を進むルートを選択。寺や神社を目印にすることとする。鉄飛坂の先も地図通り道が残っており立源寺を越えたところで踏切にぶつかる。車両から東急東横線であることは分かった。予定ではもう少しまっすぐ進みたかったがこの踏切が開かずの踏切でちっとも開かない。しびれを切らして南下、谷の北の縁に出てそこをしばらく辿るルートに変更。しかしなんだかずいぶんおしゃれな雰囲気に。どうやらこのあたりは現代では自由が丘になっているらしい。地図と現地の様子がまるで変っており地形もよく見えなくなってくる。西に進んでいることだけはコンパスで分かる。何か特徴的なものはないかと周りをみると丘の上に鎮守の森を発見。熊野神社であろうと期待するとその通りであった。参道を通って南の通りに出て、再び台地の縁を辿る。歩測で距離を測り南へアタック、浄真寺へ辿り着く。今回のコースで最も街が変貌しているエリアであった。

7-8(下図は地理院タイルを加工して作成)

9、10、11、12と谷に沿って進むレッグが続きナビゲーション的には易しめだったが10番は比高が少なく地図で見る以上に現在地の把握は難しかった。

10周辺(左図は地理院タイルを加工して作成)

12番には鉄道(東急世田谷線)が走っており、地図と現地がだいぶ違う雰囲気に変貌していたが豪徳寺の案内に助けられ現在地把握ができた。

13番は世田谷から下北沢方面へ台地を横切るレッグ。烏山用水の緑道を辿り勝國寺(寺は見つけられなかったが)の北の崖を見つける。世田谷村の役場の記号が描かれた若林・代田の集落辺りはこれまただいぶ賑やかな街に変貌しており走りにくいのではなかろうかと通過を敬遠し、西側を抜けて北澤用水の谷を目指す。圓乘院・宮前橋を目標にし、ここで現在地把握。しかしあとで調べて分かったがこの旧世田谷村役場周辺は繁華街ではなく住宅地になっていて予想とは違う変化をしていた。都市発展の歴史は奥深いなと感じる。

12~15(右図は地理院タイルを加工して作成)

終盤。14、16で信号待ちにしびれを切らし裏道を進んでかえってロスを増やしてしまう。他の場面でも似たようなことを多くしており、古地図ナビは普通のナビゲーション以上に忍耐を要するものなのだと知る。

そんなこんなで久しぶりに無我夢中なったレースだった。古地図では地形が変わらず残っていることがフューチャーされがちだが、ナビゲーションする際には地形と同じくらい方向を意識することが重要であると感じた。市街地のナビゲーションでコンパスを必要とすることなどほとんどないが、地図を変えるだけでここまでコンパステクニックを試されることになろうとは。

そして地図が大きく違っていること、この先進めるのだろうかという不安は、昨今の正確な地図を使ってばかりの身としてはしばらく味わっていない懐かしいもので、EASTWINDの皆さんから聞くようなまさにアドベンチャー体験ができた。そしてなによりこれは地理好きにはたまらない。